経営とITの狭間で踊る者


狭間の者の視点

先日、中東情勢の話をしていた。

イスラエルとイランの緊張関係から始まり、終末預言の話になった。
ハルマゲドンだの、ゴグ・マゴグだの。

そこから「なぜ人は終末論を信じるのか」という話になり、「苦しみのない世界では成長できないから魂はこの世に生まれてくる」という説にたどり着いた。

さらに、「もし意識とは何なのかがまだ解明されていないなら、将来AIに意識があったと判明するかもしれない」という話になり、最後は『時計じかけのオレンジ』の自由意志論で締めくくられた。

普通に聞けば支離滅裂である。

たぶんその場にいたら、
「え?なんで急に映画の話?」
と言われても仕方がない。

しかし不思議なことに、エンジニアの頭の中ではわりと一本の線でつながっている。

話題を追いかけているのではない。
構造を追いかけているのだ。

中東情勢も終末論も、AIも、映画も、本質的には
「人間とは何か」
という問いにつながっている。

だから話題は飛んでいるようで飛んでいない。
本人の中では、同じ木の枝を移動しているだけなのだ。

経営者は結果を見る。
営業は顧客を見る。
経理は数字を見る。

エンジニアは構造を見る。そして抽象化する。

だから会議で突然まったく違う事例を持ち出す。

クラウド移行の話をしていたはずなのに、気が付くと道路工事の話になっている。
組織改革の話をしていたはずなのに、なぜかアリの巣の話になっている。

本人は一生懸命説明している。

しかし、周囲には脱線しているようにしか見えない。
なぜなら周りは題材を見ているが、エンジニアはパターンを見ているからだ。

もっと厄介なのは、ITと経営の狭間にいる人間である。

経営者の言葉も分かる。
エンジニアの思考回路も分かる。
だから翻訳を始める。

「その市場の話は、制約条件の話ですね」
「その組織論、実は分散システムでも同じ問題があって・・・」

などと言い始める。

だんだん周囲の空気が重くなる。
本人は至って真面目なのだが、話の飛躍量が大きすぎるのである。

しかし振り返ってみると、イノベーションの多くはこういう飛躍から生まれるのかもしれない。

経営者が「もっと柔軟に対応できるシステムにしたい」と言う。
エンジニアは、「どうしたら仕様変更に耐えられる設計ができるか」を考える。
しかし、その間に立つ人間は、もう一つ問いを立てる。

「そもそも、何が変わることを想定しているんですか?」

技術の問題に見えたものが、実は事業の意思決定の問題だったりする。

一貫した流れの中で、別の角度から差し込む光。
それは脱線ではなく、発見の入り口なのかもしれない。

だから私は、話の飛ぶ人が嫌いではない。
むしろ警戒している。

その人には見ている線が、まだ自分には見えていない可能性があるからだ。

そして今日もまた、会話は中東情勢から始まり、気が付けばAIの意識について考えている。

経営とITの狭間で踊る者の日常なんて、そんなものである。😌

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